自分で決めなければ、君は自由になれないんだ。 小杉俊哉


はじめに

会社に入社したのは誰が決めたのか?
そして、会社に居続けることを誰が決めているのか?
すべて自分のはずだ。
では、今の仕事をやることを誰が決めているのか?
多くの人は、会社や上司が決めたと思っている。
でも、それは違う。それはきっかけに過ぎず、実際は自分で決めているのだ。
そのことを自覚しなければならない。
嫌なら辞めればいいだけだ。
実際にあなたの周りに会社を辞めている人は少なからずいるだろう。
だから、今やっていることは全て自分で選択している結果なのだ。
仕事に限らず、あなたの人生は、
あなたが今まで選択した全てのことから成り立っている。
そのことを自覚しないと、親や上司、周囲に振り回される人生になる。

つまり、自律しなければいけないということだ。

1/30に発売された
「僕たちは「会社」でどこまでできるのか? ~起業家のように企業で働く 実践編~」で
共著という形で一緒に出版させてもらった塩見哲志氏は、その自律した企業人といえる。野村證券でモーニングピッチという企業内起業を若干27歳の時に立ち上げ、
今まで出会うことがなかった企業とベンチャーのマッチングを行う機会をはじめて創造したのだから。
今回は、起業家のように働く企業人の実践の手記ともなっている同書から、
塩見氏のMaxim(名言)を取り上げ、自律し起業家のように企業で働くヒントを紐解きたいと思う。


小杉 俊哉

1958年生まれ。早稲田大学法学部卒業後、NEC入社。マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院修士課程修了。マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク、ユニデン株式会社人事総務部長、アップルコンピュータ株式会社人事総務本部長を歴任後独立。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授を経て、現在、同大学SFC研究所上席所員。合同会社THS経営組織研究所代表社員(本データは本記事が配信された当時のものです。)

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Maxim1 「今勤めている会社があなたの人生の主役ではありません。」

 

Morning Pitchを運営している 塩見哲志さん

Morning Pitchを運営している 塩見哲志さん

塩見さんは、自分の人生は自分で選択しているのだ、ということを知っている。
自律はよく自立と混同して使われるが、レベルが違う。
「自立」は、一人前になること。
先輩上司の手を煩わせることなく、
ひとりで給料に見合った仕事をこなせるようになることだ。
また、親から経済的に独立することも自立、の字を使う。
これに対して「自律」は、自分で仕事を創り出し、結果まで含めてすべての責任を自分が負う、と意識して仕事を行うことだ。
だから、自律している人は、上司のせいや会社のせい、親のせいにしない。
仕事に限らず人生は、他責ではなく、
自責でやらないかぎり人にコントロールされてしまう、と知っているのだ。

 


Maxim2「自分のものさしを使って、物事を判断して行動する。」

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企業のみならず、社会は一元的なものさしで計る。
頭がいいというのを、学力が高い、
偏差値が高い=一流の高校、大学に入れる、と認識する。
そしてそういう人が、一流の企業に就職し、成功するという見方だ。
しかし、偏差値が高い生徒の中には、受験技術に長けているだけ、という例も多数見受けられる。
これは、与えられた問題を解く、というスペシャリストだ。
問題から予め決められた正解を導く、
というのは実は頭の使い方としては、反応的受動的なものだ。
なぜなら、問題が与えられないと、頭はまったく動かないからだ。
しかし、「頭の良さ」には、別の側面がある。

それは自分の頭で考えられるということだ。

ものごとに向き合うときに、

なぜなのか?

何をやるべきか?

というところから、考える。

つまり、ゼロベースで考えるということができる頭の良さ、
これが今ほど求められている時代はない。
いわゆる、仮説を立てる、ということだ。
ビジネスにおいて、会社や上司が答えを持っているわけではない時代だ。
安定的な成長期においては、
経験値の豊富な人間の指示に従ってやっていれば、成果に繋がった。
しかし、今や、昔の成功体験はむしろ邪魔になる。
環境が激変しているからだ。
そのような環境では、ひとりひとりが、なぜやるのか、何をやるのか、から考えていく必要がある。

 


Maxim3「素っ裸になって自分の世界を広げる。」

カバー最終

僕たちは「会社」でどこまでできるのか?

自分の身につけていたものを脱ぎ捨てることを、
「素っ裸になる」、と塩見さんは表現している。
今まで身につけているものとは、
例えば卒業大学、今働いている企業、得た資格などがあるだろう。
私の学生にも多いのだが、リスクをとることを極端に恐れる。
何か失敗するのではないかということに対して腰が引ける。

例えば、私が 30 歳のときに、
会社を休職して自費で家族を連れてアメリカに留学した、
ということに対して
「よくそんなリスクをとりましたね?」と必ず聞かれる。

でも私にはリスクをとる、などという発想はまったくなかった。
確かに会社は留学費用を出してくれなかったし、
二年間収入もなし、ビジネススクールの評価は厳しく、
もし卒業できなければ、せっかく入学できたのにすべてふいになってしまう。
しかし、たとえチャレンジが失敗に終わったとしても、
チャレンジする前の自分に戻るだけのことであり、特に何かを失う訳ではない。
幸い会社はまた戻って来いと言ってくれていたし、
たとえ戻れないにしても、またどこかの会社に入れてもらえばいいと思っていた。
借金はそのあとの長い人生を考えたら、働いて幾らでも返せる。
それよりも、自分の未来に広がった可能性に対して、
吸い寄せられるように向かって行っただけだ。
実際、そこはダイバーシティに富んだ未知の環境で、
様々な国の人から、また日本の一流企業から派遣されて来た優秀なクラスメートたちから、
そして教授陣から受ける新鮮な刺激に日々アドレナリンが出まくっていた。
正に、自分がいかに井の中の蛙であったかを思い知らされた。
もちろん、あのチャレンジがなければ次のチャレンジにも、
その次のチャレンジにも繋がらず、したがって今こうしている自分がいるはずもない。

 

 



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